不動産業の歴史②【室町〜江戸時代・不動産仲介業の登場】
前回は平安鎌倉時代までの不動産業の歴史をお送りいたしました。
前回の記事を確認したい方は、
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室町・戦国時代
豊臣秀吉による太閤検地による、測量と倉庫による兵糧の管理が行われました。また、商業が活発となり、倉庫業を営むものが現れました。
——————–Wikipedia引用————————
秀吉は、各地を征服するごとに検地を行い、征服地を確実に把握して全国統一の基礎とした。
また、太閤検地では全国的な規模で統一された方法で行われ、それまでの複雑な土地所有関係を整理し、土地制度を一新した。
これにより、荘園制度は完全に崩壊することとなる。さらに、物差し、升を統一して行われたため、度量衡の統一がなされた。
この太閤検地の実施により兵糧を絶やすことなく小田原城を約20万の兵で囲み、北条氏を滅亡させた(小田原征伐)のは有名な話である。
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この記事によると「物差し、升を統一し・・・」とありますが、その後の不動産業界では1間の大きさが関東・関西と地域によって異なっていました。
それぞれ江戸間、京間と呼ばれ、畳の大きさを江戸間であれば5尺8寸×2尺9寸(1,757×879mm)、京間であれば畳の大きさを6尺3寸×3尺1寸5分(1,909×954mm)と定めていたそうです。
余談ですが、現在の日本ではこれら尺貫法を取引や証明で用いることは禁止されており、違反者は50万円以下の罰金に処せられます。しかし実務上では尺貫法はよく利用されています。まったくもって日本の不動産業の慣習には驚かされることばかりです。
江戸時代
江戸時代になると多くの人が江戸にやってくるようになり、庶民の住宅が不足するようになりました。当時の土地の多くは幕府や藩、寺社などの持ち物で、幕藩地・田畑の売買は禁止されていましたが、それ以外の土地などについては商人たちによる証文による取引が広く行われていました。商人たちは取引によって得た土地に長屋を建て、庶民が住む場所を貸すようになり、また、長屋の管理人 として大家(家守)が雇われ、借家人(店子)から賃貸料(店賃)の徴収などをおこないました。生業として賃貸や仲介がおこなわれたのはこの頃からといわれています。
不動産仲介業の登場です!
現代においても年々増えている不動産仲介業の出現は江戸時代でした。商人たちは、本業を商人としておこない、副業として賃貸・仲介業を行なっていたということになります。本業において多種多様な人と出会うことでしょうから、情報の流通と入手が重要な不動産仲介業との組み合わせが良かったことは、その後の発展を見ても明らかでしょう。
江戸時代において、不動産業はまだまだ発展していきます。不動産業にとって、とても大切な時期です、長くなってしまいましたので、次回に続けたいと思います。
ありがとうございました。
【参考文献】不動産業界のしくみ 著:矢部樹美男
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